A Deabetic Life - 糖尿病の生活

A DEABETIC LIFE

− 糖尿病と診断されて −


2型糖尿病と診断されて 糖尿病となってから


■2型糖尿病と診断されて −私の場合−
私は現在(2004年3月現在)32歳。性別は男。
2型糖尿病であると解ったのは2004年2月24日(火)。
それまでの私は「2型糖尿病というのは、よほどの事がない限り、歳をとってから出るもの」という認識でいました。もちろん生まれながらにして1型糖尿病となってしまった方や、何らかの原因で突如1型糖尿病となってしまった方が大勢いることは知っていました。また自分の父が2型糖尿病で数年前から食餌療法と運動療法を続けていることも、数ヶ月前から食事前にインシュリン分泌を促す薬を飲んでいることも知っていました。また自分自身が肥満体型(診断時:身長187cm/体重105kg)であることも自覚していました。

しかし「2型糖尿病はよほどのことがない限り年齢を経てからでないと発病しない」という誤った認識と、空腹欲求に素直に従って来た上に極度の運動嫌いという自堕落な生活をしてきたお陰で、32歳という年齢で既に2型糖尿病患者となりました。

コンビニエンス・ストアに立ち寄ると、様々な「美味しそうなモノ」が誘惑して来ます。家に帰ってTVでも見ながらチョイとつまみたいなぁ、等と思って2〜3品は一度に買い込みます。
・スナック菓子
 この前TVCMで見た新作だ。美味そうだなぁ。
・清涼飲料水
 いつもはお茶ばかり買うけれど、たまにはいいよね、炭酸飲料も。
・お弁当・惣菜
 父が糖尿病の為に家庭ではなかなか食卓に登らないメニューばかり。

日頃の昼食は外食ばかり。安く抑える時もあれば、時々豪華なものも食べたくなります。
・牛丼屋
 BSE問題で店頭から消える前、基本は特盛り・卵・味噌汁。時々御新香も。
・カツ丼屋
 やっぱりカツが2枚乗ったダブルカツ丼が基本。アツアツがたまらない。
・回転寿司
 サラダ軍艦をベースにその日の気分で。12〜15皿が基本。
・カレー屋
 いつも立ち寄る店では辛さよりも量とトッピングが大事。ライスは400g以上。

夜中までゲームしていたら、午前1時を回った頃からお腹が空いてきます。お財布にも余裕があるし、ちょっとコンビニに行っちゃおうかな?と出掛ける時も。買って来たものはだいたいその日のうちに食べて無くなります。
・スナック菓子
 夜はあまり甘いものはいらないんだけれど、このポテチ美味しそう。
・お弁当・惣菜
 このチキン美味そうだなぁ。ちょっとオツマミに買おうかな?
・酒・飲み物
 新作ビールにチューハイ。この新作ジュースで焼酎を割ってもいいかも。

日曜日、お昼近くに起きたら家族が誰もいない。残り御飯で炒飯でも作ろうか、それともパスタでも茹でようか…?お腹も空いている事だし、一気に二人前作ってガッツリ食べよう!
・炒飯
 お肉は基本。玉葱も炒めて御飯をドサリ。おっと油が足りないから追加!
・パスタ
 アルデンテの麺をニンニク・鷹の爪で炒めて。二人分の麺は流石に多いなぁ。
・うどん
 焼きうどんが美味い。ザクザク切った野菜とお肉。麺は1袋半が最低量で。

仕事の帰り、車を運転しているとお腹がグーッと鳴ります。片道約1時間。帰宅してもすぐに食事にはならないし、ちょっとドライブスルーでも寄って行こうかな?
・ハンバーガー
 新作のバーガーが出ていたんだ。コレは押さえておかないと。
・プラスメニュー
 やっぱりポテトも美味いけれど、ナゲットもいいな。鶏肉大好きだし。
・ドリンク
 油ものが多いから烏龍茶にしよう。でもたまにはガムシロ入りのコーヒーも。

こうした生活が長らく続きます。就職してからと考えると、実に14年間になります。
仕事の関係で外食をしたり、不規則な時間帯に食事をするようになったのは25歳の頃。それまでは体重も80kgから90kgの間でしたが、営業で外回りをするようになってからは生活環境が大きく変化し、その結果体重が一気に増加。100kgを越し、MAXでは130kgにまで達したことも。

あまりにも体重が増えたため、ダイエットを慣行。
・間食はしない。
・食事は蕎麦を中心にしたメニューにし、天麩羅蕎麦以外のメニューで済ます。
・一日500kcal以上消費するような運動を毎日続ける(この時はボディコンバット)。
これらの事を自分に課して二ヶ月。130kgだった体重が117kgにまで激減。二ヶ月で10kg以上も痩せたということが自信となり、更にダイエットを続けます。しかし、なかなかここからが落ちて行かない。ダイエットをしたことのある人に相談すると、必ず止まる所があるからそれを乗り越えるには継続しかない、とのこと。でも成果の見られないことを毎日続けるのは苦痛でしかなく、運動量を増やすことにしました。
結果、肩のスジを痛めて通院するハメに。準備運動せずにいきなり本気のパンチをフルスィングすれば、そりゃスジも傷めるわと、通院終了後は運動を止めてしまいます。結局体重は二ヵ月後に元通り。
しかしここで過信が生まれました。「自分は二ヶ月で10kgは痩せることが判った。またいつか始めよう」と。

体重が元に戻ったこと。
いつでも痩せられる、という過信があったこと。
ヘルニアを患い、激しい運動はなるべくしないようにと医者に言われたこと。

そんな事から、食事や間食は、ダイエット前の状態に戻ってしまいます。当然運動もしなくなりました。
ただし体重はさほど増えませんでした。

そんなある日、私は会社を辞めました。31歳・最後の決断でした。
会社を辞めてから職を探し、就職難の折から何十通もの履歴書を書いては送るという日々が続きます。
なかなか色よい返事がもらえずイライラし始めた頃、ハローワークで一通の求人票に出会いました。
美容関係の仕事をしていた経験と営業の経験が活かせ、尚且つ管理職での採用というもの。早速その会社に連絡をとって面接を受け、採用となりました。しかしその会社は個人事業主1人・委託販売社員1人という超零細商店。それでも事業主から夢を語られた私はその夢に人生のチャンスをかけることにしたのです。
自分なりに必死に働きました。事業主からは「完全歩合制だから」と言われ、部下の売上の一定部率が自分の収入になると言われました。しかし事業主の本質や仕事の本質を見抜いたのか、大切に育てようとしている部下がどんどん辞めてしまいます。挙句の果てに事業主は詐欺まがいの商売に手を出し、私にもその片棒を担がせようとしました。自分の家族にも迷惑が及ぶに至り、極度のストレスを感じた私は、この事業主を見限ることにしました。
大切に部下を育てようとしてイロイロ考えてやっているのに、自分の思い通りにならないと全てを部下の責任だと押し付けて退職に追い込むような雰囲気を作る事業主。数ヶ月間一切の収入が絶たれた為に起こる金銭の問題。様々なことが大きなストレスになりました。

再び履歴書を書き続ける日々が始まります。
白髪が激増し、頭髪も以前に比べると薄くなりました。
ストレスからドカ食いもしました。
酒は好きで人並み以上に飲めるけれど晩酌はほとんどしなかったのに、毎晩飲むようになりました。

気がつくと32歳になってから半年以上が経過していました。
ようやく見つかった仕事は、派遣会社からの紹介でした。
短期だけれど、希望にピッタリの仕事。
既に年が明けた2004年1月の事でした。
少々遠い為に、早起きをしなければならない職場。しかし仕事を始めて二週間後くらいに、派遣先の上司が「こんなによく働いてくれるし、結果も出そうだし、真面目だから、出来ればウチの社員になって欲しい」と嬉しいことをおっしゃって下さったんです。あまりの嬉しさにもっと頑張らなくては!と思って更に一生懸命に仕事に取り組むようにしていきました。

しかし、昨年(2003年)から続く極度のストレスのためか、体には次のような症状が出ていました。
(1)異常に喉が渇く。
(2)トイレ(尿)の回数が増えた。
(3)座ってパソコンに向かってする仕事の上残業もないのに、疲れがひどい。
(4)立ちくらみがする。
(5)眠れない・寝付けない。
これらの症状は、全部ストレスが長期間に渡って起こったものだと思っていました。
実際に、自分は8年ほど前にストレスが原因の半身麻痺と顔面神経痛になったことがあったからです。このためストレスを強く感じると体におかしな症状が出るものだと思っていました。

いい仕事に巡り合えたこと、いい上司に巡り合えたことが、このストレスを和らげてくれる。そう思っていた矢先の出来事でした。
突然、左目の横にニキビ(吹出物)が出来ました。日に日に大きくなっていくこの吹出物は、ついに左目のマブタを腫らした上に破裂します。中からは大量の血膿。
時を同じくして、首筋や両足の太もも、お尻にも吹出物が出来ました。中でもお尻に出来たものがかなり大きく、座るのも苦痛なくらいに膨れ上がっていきました。

昨年11月頃、ちょうど詐欺まがいの商売をしていた個人商店に辞表を叩き付けて辞めた頃、やはりお尻に同じような吹出物が出来たことがありました。
この時はかなりの腫れと痛みがありましたが、元々医者が嫌いな私は通院せずに放っておきました。オデキなら勝手に破れて膿さえ出てしまえば治る。そう思ってのことでした。
この吹出物が破れた時、かなりの出血を伴いました。ちょうど寝る直前のことで布団の上でのことだったので、布団を真っ赤に汚した上に、その出血がなかなか止まらず、3週間近くも続いたように記憶しています。

今回出来たお尻の吹出物も、これと同じモノだと考えていました。
しかし、派遣先の歓迎会でたらふく酒を飲んで帰宅した夜、腫れが最高潮に達しました。お尻の左側全体がパンパンに腫れ上がり、身動きをしただけで激痛が走ります。2004年2月21日(土)の深夜のことでした。
前回以上の腫れと痛みに耐えられず、翌日の日曜日、緊急医を探して診察してもらうことにしました。
医者に見てもらい、注射で中身を抜いてみると、膿ではなく血しか出て来ない、ということ。このため、血管腫という「血管が一箇所にまとまって出来てしまう病気」ではないか?と疑われ、血液検査をされました。
そして医者から言われた言葉「白血球と血糖値の値が異常だから、明日すぐに大きな病院で診察を受けなければいけない」。

その時はまだ、一時的なものだろう、とタカをくくっていました。
医者が嫌いな上、月曜日には仕事があります。自分を正社員として迎えたいと言われている状況で、仕事を休むこと・遅刻することは自ら首を締めるようなものです。当然医者にはどうにかならないか、と言いましたが、どうにもならない、ということで無理矢理紹介状を持たされてしまいました。
幸い(?)、この日曜日には上司が出勤していると判っていたので電話をし、これまでの経緯を話し、午後一番には出社しますと伝えました。

月曜日、紹介された大病院の外科に行くと、また注射で中身を吸い取られました。症状の特定が出来ないまま皮膚科に回され、皮膚科の医師に診察をしてもらうと「臀部膿皮症(でんぶのうひしょう)」と診断されました。皮膚科の医師いわく「この感染症は、糖尿病の人に多くみられる症状だよ。血糖値も高いようだし、太ってもいるし、体のあちこちに吹出物が出ていることや、昨年のお尻からの出血の様子を考えると、糖尿病の疑いがあるね。今日は血液と尿の検査をして帰りなさい」とのこと。
お尻のほうは麻酔をしてメスでザックリ切られ、大量の膿と血を出してしまったので、普通ならこのまま良くなって行くということだったけれど、皮膚科の医師は「もし糖尿病だとお尻のほうもなかなか治らないから、糖尿病だとしたらそっちの治療のほうが優先になるよ」と言われました。
この日は採血・採尿をし、帰宅後に会社に電話すると、上司は「無理をせずに今日は休みなさい」と温かい一言。出社しようと考えていたけれど、座れないほどの痛みはまだ残っていたのでこの言葉に甘えることにしました。

自分が糖尿病のはずはない。
糖の値は高いかもしれないけれど、きっと厳重注意をされるくらいだろう。
最近暴飲暴食が過ぎたから、これからは節制すれば良くなるさ。
ストレスもなくなる方向にあるんだし、きっと良くなっていく。

私は糖尿病であるという宣告を受けるまで、こう信じて疑いませんでした。

(了)
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■糖尿病となってから
糖尿病と診断された日、大病院の担当医はものすごい剣幕で私を叱りました。叱ったというよりも感情に任せて怒った、というほうが正しいのかもしれない様子でした。これは看護士の方も同様で、ものすごくツンケンした態度に腹立たしく思いました。
血糖値が344、ヘモグロビンA1c(HbA1c)が12.4%、というのが最初の検査結果。血糖値は正常値の3倍、HbA1cは正常値の4倍近くある状態でした。
医者は絶対に入院しなさい、と言います。しかしせっかく目の前にぶら下がっているチャンスを逃してはならないと、私は断固これを拒否しました。父も初診では私と同じくらいの数値だったのに、入院せずにいたから、という理由もありました。
私の強い意思に、医者は「じゃああなたは外来での治療になるからね。診察というのは契約事なんだ。もし体調が悪化したことによってあなた、もしくはあなたの家族が私や病院を訴える、ということがないように、これだけは言っておくよ。私は入院を勧めたのに、あなたはそれを拒否した。それで違いないね?」と言い放ちます。糖尿病だと診断されたショックから立ち直れない状態でこんなことを言い出すなんて、どういう神経しているんだ、この医者!と、目の前の医者をブン殴りたくなりました。
結局、私は「訴えませんし、入院もしません。外来で治療します」と伝えました。
医者は「それならインシュリン注射の練習をしなきゃいけないから、明日から毎日通院すること。毎朝何時に来れる?注射の後に食事になるから、弁当を持ってこないといけないよ」とのこと。
・・・インシュリン注射!?
「先生、飲み薬ではダメなんですか?」と訊くと、あっさりと「ダメ」と否定され、自分の父のことを話して何とか飲み薬での治療にしてもらおうとしたのですが、医者は「あのね。糖尿病ってのは人によっても医師によっても治療法が違うの。でもあなたの場合は血糖値もHbA1cも高過ぎる。これは一刻も早く下げないと、あなたの命に関わることなんだよ?」と完全否定しました。
糖尿病ってだけでも、相当のショックと不安を抱えているのに、更にインシュリン注射という追い討ちを受け、私はものすごく落ち込みました。

翌日から、自分でインシュリン注射をする訓練を始めました。内科の婦長さん(看護士と呼び名が変わっても婦長という言葉は変わりないようです)が早出をしてこれに付き合ってくれました。本来、医者からは4日間の訓練を受けるようにと言われていたのですが、私の場合、覚えが早いから、という理由で2日間でOKされました。
訓練初日の朝食である母の手作りの弁当を見て、たいへん物悲しくなりました。高校生の時から使っているアルマイトのドカ弁ではなく、貯蓄貯金魚(笑)の小さな二段重ねの弁当箱だったからです。当然中身はほんのちょびっと。泣きたくなる気持ちを抑え、私はこの僅かな量の食事を時間をかけて食べることで満腹感を得ることにしたのです。

日々の食事は一変しました。
医者からは「一日2400kcalまで、塩分は7gまで」と言われていましたので、それに従った食事になるのですが、母もいまいち糖尿病を正しく理解していないのか、出て来る食事は明らかにカロリーが少なすぎる状態でした。
肉類や揚げ物は食卓に登らなくなり、代わりに増えたのが「こんにゃく、海藻、寒天、野菜、キノコ」でした。これらはいくら食べても食べ過ぎることがないカロリーゼロ(またはゼロに近い)ものばかり。しかし油もほとんど使わず、隠し味の砂糖も一切使わない料理は美味しくありません。しかし他に食べるものもなく、これを食べるようになっていきました。
最初の頃は空腹に負けそうになり、シュガーレスガムを噛んで凌いだり、おしゃぶり昆布を食べて凌いだりしました。
徐々に胃が糖尿病食に慣れて来て、少量でも満腹感を感じるようになって来たので、今では食事の量に不満はありません。逆に以前自分が食べていた量が如何に多かったのかを改めて感じるほどになりました。

やがて、2度目の検査。前回の診察から1週間後のことでした。
この時の数字は血糖値346、HbA1cは12.6%。数値は悪化しています。
しかし医者は別にこの数字で当然、という顔をしています。
そういえば医者や看護士の態度が前回と違って、ツンツンしていない・・・。おお、そうか!先生や看護士さんが怒ったのは、きっと「糖尿病患者は糖尿病を甘く見て治療をおろそかにしがちだから、きっと危機感を感じさせて治療へと向かわせるようにするために、ワザとあんなに冷たい態度をとっていた」んだな!
数値に関しては、一週間で変わるわけがない、と言われ、インシュリンを1日1回から、食事毎にしましょう、と言われました。医師曰く、これは悪化しているためではなく、インシュリンを身体に慣れさせるために、段階を踏んでいるんだとか。
それに、疲れることが減り、トイレの回数も正常になり、喉も渇かなくなった、ということを伝えると、「それは治療が上手くいっているから。インシュリンが効いているというよりも、食事の見直しをしたからだよ」と言われました。
この時、眼科で眼底出血の検査を受けたのですが、この検査、瞳孔を開く目薬をさされるので、目はどんどん見えなくなっていくし、眩しくて外を歩けないし、という状態が数時間続きます。私はちょうど昼頃に目薬をさし、瞳孔が元に戻ったのは夕方5時くらいでした。当然車の運転なんてできませんので、眼底検査をする場合は要注意です。

インシュリン注射は毎食前になり、会社でも机の影でプチッと注射。慣れてくると簡単で、ササッとできてしまいます。1回の注射は5単位。一本あたり300単位入っているインシュリンのカートリッジは「(空打ち2単位+注射5単位)×3食=21単位/日」という量のため、どんどん減っていきます。
体調も回復してきたし、食事にも慣れて来たし、栄養教室や糖尿病教室に通って医師や栄養士から専門知識も得てきたし、本や糖尿病に関するサイトも見て回ったし、こうなってくると最初の糖尿病と言われたときのショックは何処へやら。
今では友達や同僚になるべくカミングアウトして、もし自分の意思が弱くなって食べたい誘惑に駆られても周囲が止めてくれる体制を作るようにまでなりました(笑)。
友人がひとりだけ、糖尿病に対する誤解からか、お前が太りすぎているからだよ、とメールに書いて来ましたが、やはりこういう言葉は傷つくものです。何ていっても自分が一番よく判って反省しているから。今更周りから改めて罵られる必要はない訳です。
それでもまぁ、ほとんどの人が気遣ってくれるようになり、会社を検査などで遅刻することも特に何も言わないで了解してくれるようになり、それによって自分の評価が下がるということもありませんでした。

治療を開始して3週間。前回の検査から2週間が経過しています。
この間には、栄養士さんの許可を得た上ででしたが、大好きなカツ丼を食べています。昼食に回転寿司で7皿+味噌汁という時もありました。でも後は「カツや天麩羅の衣はなるべく剥いだり削ったりして食べる」「肉類を減らし、こんにゃく、キノコなどで食べる量を調整する」「間食、飲酒は絶対にしない」ということを続けて来ましたので、そろそろ結果が出てもいい頃。
検査の結果、血糖値は238にまで下がり、HbA1cも12.0%と徐々に下がって来ました。血糖値が110も減ったのには本人がびっくり。HbA1cは約一ヶ月前の食事の習慣が数値に出るので、ほとんど下がっていなくても問題はないということ。
体重も落ちてきているし、何と言っても便秘が綺麗に解消されたこと!お陰でお腹周りがスッキリしてきて、ズボンが緩くてしょうがない、という状態になってきました。

今では血糖値とHbA1cと体重を下げることが楽しくなって来ました。
食事も食べてはいけないものはない、というのに頑固に間食と飲酒はしないようにしています。それでも平気になってきました。
タバコだけは止められず、前と同じ量を吸っています(医師には止められていません)。これはあらゆるものを禁止されることから来るストレスが原因で治療放棄することを防止するためのものだと解っていますが、今は甘えることにしています。
インシュリン注射も慣れたものです。痛みもほとんどないので、決められたタイミングで決められた量を守って注射しています。注射忘れも今の所ありません。
一生インシュリンの世話になるのだから、もう開き直って治療に専念しています。目標は血糖値150以下、HbA1c6.0%以下、体重95kg以下です。この目標を早く達成するため、民間療法や迷信などに頼ることなく、しっかりと固い意思で治療していきます。
治療がストレスになるのも良くないことだと医師は言います。だからストレス発散のため、趣味にも力を入れるようにしています。
こうしてホームページを作ることもストレス発散のひとつと考えています。
私のように、自分や自分をとりまく環境が原因で2型糖尿病になってしまう人がひとりでも減るように。今はそんな気持ちでいます。
毎日、いろいろありますが、どちらかというと明るく楽しく暮らしている、と自己分析していますので、いい傾向なのかな?
ただ、半年間悪徳事業主に騙され続けてほとんど無収入だったことのツケが今の最大の苦しみですが(笑)。

(了)

当サイトの目的 糖尿病(DM)とは?
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